リア充の定義から見る非リア充の変化

リア充検定を受けてみた。結果は60/100で不合格。

充実してるかなー?
こんなもんさ。
人生こんなもんさ。リア充っぽいけどリア充じゃない。
まぁ中途半端な存在だ。ま、落ち込むなよ。大半の人間は
ほとんどお前と同レベルだからな。気にするな。


好きなあの子はリア充に食われちまってるけどな・・・

あきらめろ。堅実にいけ。

というわけで、なんかむしゃくしゃするわけですがw
最近は「リア充(リアルが充実してる人)」の定義が変化している気がします。簡単に言ってしまえば原義から「異性にモテる・友達の多い・アクティブで外交的な人」にずれてる。これはリア充検定に限らず、ネット上の多くで散見される事実です。
現実的には、「俺にはあの萌えっ子がいるから何もいらん(本心から)」「ドラムセットとパソコンが友達(俺)」「休日は引きこもってプラモ組み立て」なんて人もリアルは充実してるわけで、ちょっとおかしいな?と思うわけです。
リア充」という言葉はネットで生まれネットで使われています。実際のリア充が「うはwwwww俺リア充wwwww」なんて言ってるわけじゃないんですよね。基本的には、「非リア充」の人が自分以外の人間に向けて使う言葉です。
ですからこの現象からは「非リア充」の心の変異が見て取れるわけです。非リア充、つまりオタクとかモテない男('A`)ですね。彼らの多くは性的な魅力がなくて、内向的です。その彼らが、「リアルが充実してる」条件として、「女にモテて友達多くて外交的」を挙げているわけです。本来そういった価値観から逸脱して、自分たちの価値観を構築すべき人間が。
最近「恋愛至上主義」なんて言葉をよく見かけます。恋愛至上主義とは、「恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。(wikipediaより)」。本来この言葉、オタクや('A`)がリア充(スイーツやDQNを含む)を槍玉にあげるときに使う言葉です。しかし、先述した事象を考慮すると、彼らこそ恋愛至上主義に毒されている気がします。だって「女にモテないとリアルが充実しない」と言ってるわけですからね。この辺、彼らの恋愛やセックスに対する強いコンプレックスが感じられます。ちょっと健康な精神状態とはいえません。
内向的で友達の少ない人こそ、もっと自分を認めてあげるべきだと思います。モテなくたっていいじゃないですか。人生、恋愛やセックスが全てじゃないんです。オタクや('A`)が外交的な「リア充」より優れてるところだってたくさんあります。現代社会を支配している恋愛至上主義的価値観から抜け出すべきです。そして本当の意味でのリア充になってください。
そしてあくまで恋愛至上主義に拘るなら、ひたすら「リア充」を目指してください。おしゃれをして、女友達を作って、会話上手になって、休日は友達との約束でいっぱい・・・。どちらにしても、恋愛至上主義の最底辺に身をおき続けるだけじゃ駄目です。
と、自分に言い聞かせるような長文を書いてみました。
#日本全体で価値観の画一化が進んでるような気がしてなりません。ちょっと前「個性」という言葉がマスコミで叫ばれていました。「個性」を認めることは、価値観の多様性を認めることです。あの「個性ブーム」は価値観の画一化が進んでいた時代への反発かもしれません。今ではそんな反発もなくなり、完全に画一化が浸透したように思います。具体的には、本文の「恋愛至上主義」、高学歴や高収入を「勝ち組」とするなど。いや低学歴より高学歴、低収入より高収入がいいのは当たり前です。でもその一点でのみで人を評価してしまうような空気があります。人間はそんなに単純に評価できるものじゃないんです。この辺ちょっと懸念してしまいます。